離婚するほどじゃない。でも一緒にいる理由もない
「どうでもいい」に至るまでの22年
最近、夫への感情をすべて捨てた。子育て以外に「夫婦」として共有できるものが何もなくなったからだ。
高校生のころまでは、学校行事、制服の買い替え、部活、塾、体調の変化…子どもの話題で夫婦はつながっていた。
でも共通の会話は子どものことだけだった。
子どもが小さい頃は、誕生日にディズニーランドに行き、外食も楽しんだ。
それが、夫の見た目がどんどん太っていくのを見て、外泊すら嫌になった。
昔は「痩せてよ」と言い続けたけれど、完全にハンプティダンプティ化した。
ある日ふと、「もうこの人に何も期待してないかも」と気づく。
夫は長男として甘やかされて育ち、依頼心が強い。
お出かけもスケジュールを私が決めないと動かず、家の故障も連絡すら面倒がる。
子どもに相談されても「お母さんは何て言ってた?」と返す始末。
なんでも私に判断を任せるうち、私は「家の主」になっていた。
私には収入があり、支払いは分担制。夫が困ってもビタ一文出さないと決め、いつでもひとりで回せると自覚した。
老後も、夫が困っても助けない。助けてもらいたいとも思わない。
そのぶん、私はどんどん強くなってしまった。
夫とは会話もなく、ケンカをする気力もない。
一人で出かけたり、子どもや友人と過ごす方が気楽だ。
「お互いに誰かいてもいい」と思える関係になった。
23年かけて何十回も気持ちの折り合いをつけたから、
「このままでもいいや」と思う自分もいる。
とはいえ、一人暮らしを夢見ることがあるし、
「先に逝ってくれたら…」と妄想することもある。
そしたら夫の家具や持ち物をすべて捨てて、好きに暮らしたいと考える。

私はこの家での過ごし方を完成させてしまい、
もう出て行くつもりはない。
夫を追い出したいけれど、優先権を得た私には邪魔しない限りいてもいいと思う。
本当に「どうでもいい」は今の私にぴったりだ。
つまり、離婚する理由すら薄れていく。
このままでも、人生は回っている。
今はもう、私の暮らしは夫がいなくても問題なく成立する。
無理に別れようとしないのは、ただ平穏が好きだから。
それがきっと、今の時代の夫婦のリアルな形の一つなんだと思う。
「卒婚」という言葉、最近はよく見かけるけれど、
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※このブログは「卒婚~未満」カテゴリでの投稿です。
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